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大庄村 (兵庫県) : ミニ英和和英辞書
大庄村 (兵庫県)[おおしょうむら]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [むら]
 【名詞】 1. village 
: [へい]
 【名詞】 1. (1) (common) soldier 2. rank and file 3. (2) army 4. troops 5. (3) warfare 6. strategy
兵庫県 : [ひょうごけん]
 (n) Hyogo prefecture (Kinki area) (Hyougo)
: [けん]
 【名詞】 1. prefecture 

大庄村 (兵庫県) : ウィキペディア日本語版
大庄村 (兵庫県)[おおしょうむら]

大庄村(おおしょうむら)は、かつて兵庫県武庫郡に所属していた村。現在の尼崎市南西部(大庄地区)にあたる。
== 歴史 ==

* 江戸時代 - 尼崎藩領に含まれ、今北、西大島、東大島、浜田、東新田、西新田、道意新田、中浜新田、又兵衛新田の9村に分かれていた。
* 1889年(明治22年)4月 - 町村制が施行され、上記の西新田組戸長役場管轄区域の9村を村域として、大庄村が成立する。「大庄」の村名の由来は、この地域が「大島の庄」と呼ばれていたことによる。村役場は、旧戸長役場に置かれ、人口は、3,370人であった。
* 1905年(明治38年)4月12日 - 阪神電気鉄道が開業し、大庄村内に武庫川停留所(現・武庫川駅)、蓬川停留所が開設される。
* 1927年(昭和2年) - 阪神国道が開通し、同国道上に阪神国道電軌が開業する。阪神国道電軌は翌年、親会社の阪神電気鉄道に合併され国道線となる。
* 1930年(昭和5年) - 尼崎築港会社が、村南部の地先に大規模な臨海工業地の埋立事業を開始した。
* 1932年(昭和7年) - 尼宝自動車専用道路(現・兵庫県道42号尼崎宝塚線)が開通する。
* 1934年(昭和9年) - 室戸台風の直撃を受け、甚大な被害を受ける。死者99人、負傷者164人、流出家屋171戸、全壊家屋11戸、半壊家屋49戸、床上浸水571戸、床下浸水1,136戸に及んだ(当時の総戸数は3475戸)。
* 1937年(昭和12年) - 西字口ノ開(現大庄西町3丁目)に新村役場(現・大庄公民館)が竣工。1932年(昭和7年)に村役場用地は買収が済み、1933年(昭和8年)には設計が進行していたが、室戸台風の被害により、中断。建築家の村野藤吾1891年 - 1984年)に設計を依頼。鉄筋コンクリート造、地上3階、地下1階の当時としては最先端の庁舎であった。その背景には、昭和10年代の大庄村が、災害復興事業の推進と同時に、臨海部の工業化につれて、急速な都市化を果たし、数年間で人口が倍増を繰り返し、毎年、大幅な歳入超過を記録し、「日本一の大村」と称されていた状況があった。それでも、村役場の建設費は、当時の村の年間歳出額の半分に相当する16万円であった。
* 1942年(昭和17年)2月11日 - 隣接する武庫郡武庫村川辺郡立花村と共に尼崎市へ編入され消滅〔Web版 図解 尼崎市の歴史 近代編第4節 十五年戦争下の尼崎4 都市化の進展と「大尼崎」 尼崎市立地域研究史料館〕。1924年(大正13年)に尼崎市が「尼崎市計画区域」を決定し、周辺の小田村、大庄村、立花村、武庫村、園田村の5村との連携強化、1市5村による単一都市圏整備の必要性を説く。大庄村では、武庫川対岸の鳴尾村などとの合併を構想する反対派と、尼崎市との合併を推進する派との対立が続いていた。前年に合併推進派の平瀬巌若が村長に就任し、合併が決定される。なお、反対派の合併構想では、「武庫川市」という新市名が検討されていた。当時の大庄村の人口は、4万8,200人。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「大庄村 (兵庫県)」の詳細全文を読む




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